2018年7月1日日曜日

西野監督は名監督なのだろうか? 単なる策士なのか?

 ポーランド戦後、戦い方の美学・スポーツマンシップ・規律とか当時者でないものが、いろいろと語りすぎる。多分目の前で起こっているのものが、我々が望むものと違ったからだと思う。そういう私も試合中はそう思っていた。 もし、セネガルが点を入れたらどうするのだろうか? と....

ちょっと視点をかえてみた。
 優れた監督とか社長とか、優秀な責任ある立場の人たちは部下を成長させ、成果を出すことを常に考えている。そのためには、次に起こることを想定していて働いているものである。 我々愚民は目の前のことしか考えられないし、その結末がどこにあるか理解していない。 玉砕戦法では最悪の結果を招きかねない。それは決して美学ではない。

 西野監督は電撃交代の任を受け、チームを再構築してすでにW杯3連敗予想を覆している。そして次のトーナメントを視野に入れてのポーランド戦だった。 2010年のトーナメントのパラグアイ戦では、日本の選手にはすでに戦えるだけのスタミナは残っていなかった。 当時の監督岡田氏は「攻めたかったけれど、カウンターを食らって負けるのが想定できるほど日本の選手は消耗していた」と言っていた。我々は冷房のある部屋で消耗せずただ「どうして攻めないのか?」と歯がゆい気持ちでいた。 現場はギリギリの戦いをしていたのである。

 過去の反省を顧みて、今回はギャンブルに出たと思っている。 監督として、次を見越しながら新たな6人を先発として送り込んだ。控え選手に出場機会をあたえ、バックアッパーとして機能させつつ、選手を休ませ戦力を整える作戦だ。
 ポーランド戦は新たな選手で引き分け以上の結果を想定したのだろうが、それは上手くいかなかった。 しかし、コロンビアがリードしたことによって更なるギャンブルに出て、結果をだした。 あまり褒められた方法ではないが、批判を承知でやったことだと思っている。

 トーナメントは1発勝負、そして多くの選択肢を持った国が勝つ。選手層の薄い国は1つは勝てるがその先では敗戦する。 日本の選手の底上げをするには、トーナメントで戦えるだけの戦力としてはあまりにも薄いが、1つ多く戦えればそれだけ選手は経験を積んで上手くなる。 トーナメント進出というノルマを達成しつつ、戦力を整えた西野の勝負強さには脱帽するしかない。 しかも、このことによって選手は更に成長するだろう。 強豪ベルギー戦は総力戦である、休養十分な相手に対して消耗した選手では戦えない。これが、監督の仕事だと思う。W杯前西野監督にはあまり期待していなかったが、なかなかの策士だった。 ベルギー戦に勝って駒を進めることになったら名監督と言われるに違いない。
 
 残念なことに、ポーランド戦の先発をマスコミが記事にしてしまった。W杯は国を挙げての情報戦でもある。それを日本のマスコミはわかっていない。 リーク記事をあげることが仕事だと思っている日本のマスコミは真実の姿を追求する力はないのだろうか? 残念ながらそういう意味では、日本はまだまだW杯で戦えるレベルではない。