2014年2月9日日曜日

国立競技場の想い出

 今年国立競技場が、2020年のオリンピックの為に改修されるということで、日本-ニュージーランド戦に行くことにしました。特にニュージーランドとの試合を見たいとは思っていませんが、数多くの国際試合で苦杯を味わった国立の見納めということでバックスタンドのカテゴリー3を申し込んで当たりました(ここが試合を見るのに一番よく見える)。 チケット代が微妙に上がったことと定価にプラスいろいろとかかって525円も余分に払うことにちょっと苛立つのは私だけでしょうか?

 国立競技場ですが、国立競技場のホームページを見てみると、正式名称は国立霞ヶ丘競技場・陸上競技場で1958年のアジア大会の為に建設されたのですね。 

 東京オリンピックで記憶にあるのは、100mのボブ・ヘイズと飯島秀雄そして80mハードルの依田郁子くらいでしょうか? (ほとんど人が知らないでしょうね^^)

 サッカー(テレビ観戦)で今でも覚えているのは、1967年のメキシコオリンピックのサッカーアジア予選で、韓国との壮絶な打ち合いで3-3で引き分けた試合、終了間際に韓国のシュートがバーを叩いたときはびっくりしたのを今でも覚えています。 サッカーの試合で国立が満員になったのはこの時が初めてではなかったでしょうか?

 1972年にはペレ(サントス)が日本に初来日しました。まだ高校生で静岡に住んでいたので生のペレが見ることができなかったのはとても残念でした。 その後、ペレを見ることができたのは1985年8月25日の釜本の引退試合でした。43歳のペレよりオベラートのプレーが凄かったのはよく覚えています。

 初めての国立競技場は
 高校選手権のサッカーが関東圏で開催された年で1977年の1月でした。 母校の静岡学園が初出場で決勝までいった大会で、準決勝の八幡浜工業の試合が始めての国立デビューでした。 決勝では浦和南に敗れてしまいましたが、GK森下に出たペナルティエリア内での間接フリーキックは今でも疑問が残る判定でした。

監督の井田さんも若かったですね。

 その年の6月にケルンに1-0で勝った試合は、その後の奥寺選手がドイツでプロになるきっかけの試合だったりして、ちょっと感慨深いですね。

 その後、1979年のワールドユース(第2回)の大会は若きマラドーナ、ラモン・ディアスが率いるアルゼンチンが優勝して、国立で座る席もなく立ち見で見ていたのを思い出します。(52000人とありますが、このときはそれ以上入っていたと思います)

ほかに思い出深いものは
 1985年のW杯予選の韓国戦 木村のフリーキックより、加藤のヘディングがバーを叩いて入らなかったことのほうがよく覚えています。
 トヨタカップでは、1995年ユーベのプラティニより 1990年のオランダトリオを見たときの印象が強かったですね。 1992・3年のトニーニョセレーゾ率いるサンパウロがバルサ、ACミランを破り連覇したのは強烈でした。特に1993年の試合は最高に面白かった。1990年代後半からは欧州に移籍する南米の選手が多くなって力の差がつきすぎてちょっとつまらなくなりましたが、それでも一流の選手が目の前で真剣にプレーするのは凄いですね。 チケットの値段も高くなりすぎて最近ではちょっと二の足を踏んでしまいます。
 1980年代にJSLカップの試合を国立に見に行ったときに、ガラガラのバックスタンドで「ヘタクソ!!」と叫んでいるラモスを見たのも印象的でした。

 Jリーグが始まり、国立に行く機会がぐっと増えましたが。逆に国立はナイトゲームではメインスタンドの照明が低くて選手にとっては高く上がったボールは照明と重なるため不評です。 
 国立がサッカーの聖地とか言われる理由は歴史にあるのだろうと思いますが、個人的は聖地と呼ばれるのにふさわしい施設だとは思っていません。 新しく生まれ変わる可動式スタンドで観戦できてこそ聖地にふさわしいものだと思っているので、期待を裏切らない新・国立競技場になることを祈っています。